ふわっとデザイン脳の私が考えてみた「アートとデザイン」 - 岡山のホームページ制作・Web制作会社|株式会社スイッチ

ふわっとデザイン脳の私が考えてみた「アートとデザイン」

Switch Staff

こんにちは。

スイッチブログ、最近は井元さんがなんと3週連続で精力的に更新されておりましたne。←なんかローマ字になったのでそのままにしますけど、腹立つ字面ですね

私、“3週連続”なんて夏休みの「金曜ロードショー ジブリ映画3週連続放送」しか知りません。

なので(?)「先輩すごいなーー!!」と思っていましたが……ががが……

私が更新しなかったせいです!!!

3週連続で先輩に更新させてしまいました!!!!!!すみません!!!!!!

みんな〜〜!!先輩には頼ってもいいけど甘えるのは!ダメ!!!

ということで、今週はちゃんと森が書いていきたいと思います。

※ここまでで「!」を23回も使用しました。

さてさて、皆さん。こちらの本をご存知でしょうか?

※引用:https://www.amazon.co.jp/

学びなおす力 新時代を勝ち抜く「理論とアート」

こちら、岡山に本社を構えるストライプインターナショナルの社長の著書なのですが……

タイトルを見た時、私は目を疑いました。

「“理論”と“アート”が並ぶことってあるんだ」

というのも、私は今まで「デザインとアートは違う」と散々言われてきたからです。

学校はもちろん、デザイン会社や事務所の企業説明会へ行くとほぼ必ずそういう話をされました。

おそらく、美術系やデザイン系の学校で学んだことのある人なら大体そんな感じのことを言われた経験があるのではないでしょうか?

ネットで「デザイン アート 違い」で調べてもらえばすぐにわかると思いますが、デザインはアートとは異なり、機能性を有していたり「伝わる」ことが前提にあったりします。

なので、芸術家ならまだしも経営者である人がデザインではなくアートを、それもビジネスの観点から取り上げるなんて!なんてこったい!!

というわけで……

今回はこちらの書籍のレビューを行なって、、

いきません!

テレビの占い「ごめんなさ〜い!レビューを期待していた座のアナタ。読めていないのでレビュー「できない」のです……ラッキーアイテムはパン!」

(いつか読みますので……)

しかし、、ここで終わるわけにはいきません、ウォォォーー!

というわけで(part2)、私の経験から「アートとデザイン」をテーマに綴ってみたいと思います。

この本(のタイトル)に出会ってはっとしましたが、思えばこの半年、アートとデザインの関係性をどこか薄っすらと考えながら過ごしていたような……

それもそのはず、現在デザイナーをしている私はこの3月まで美術学生でした。ずっと表現を、アートをしてきたわけです。

それが今では伝えるための「デザイン」を手がけています。

これは、受け手の価値観によって価値が変化する「作品」から、普遍的な価値を持つ「商品」を手がけるようになった、とも言い換えられると思っています。

※「普遍的な価値を持つ」というのは、「作品」との対比を表すための便宜上の言葉に過ぎませんのであしからず……

このようにある種のターニングポイントを迎えた私は、アートを消費する際に「デザインに応用するなら?」をぼんやりと考えるようになりました。

そんな“ふわっとデザイン脳”になってから芸術祭、美術家の個展、お芝居、音楽イベント、アイドルのライブなど様々な形態のアートを消費して気づいたこと。

それは「消費するときに“実感”が伴う」ということです。

そして相対的に「デザインの消費において“実感”を伴うことってなかなかないかもしれない」と気づきました。

ですが、デザインの消費にも“実感”を伴わせられればもっと面白くなると思います。

ちなみにここで言う“実感”とは

「私は今、目の前のものを消費している(=観ている、聴いている、使っている、操作している etc…)んだ」という自覚みたいなものです。

もちろんその自覚が上記の文章そのままの形で表れることは少なく、ほとんどの場合は感情の動きや身体の反応に変換されて無意識的に自覚していることが多い気がします。

(無意識的なのに自覚できているのもおかしな話ですが、実感ってだいたいそういうものではないでしょうか?)

で、たぶんこの“実感”というものは、日常化や習慣化のような「当たり前」状態になったり、「考えなくてもわかる」状態になると途端に得られなくなってしまうものです。

デザインはアートとは違って「伝わる」「わかる」「機能的」が大前提、それは「ストレスが少ないこと」にも似ていて、

それ故に日常で使用するものはほぼデザインされている=デザインはアートよりも日常に密接していると思います。

日常である以上、消費する時(使用する時)に“実感”を伴わせるのは難しくて当然だな〜とも思います。

でも、難しいだけで可能性は0ではない。

今、私の目の前に箱入りのティッシュペーパーがあります。一枚ずつ取り出せるようにデザインされているので何の引っかかりもなく使えます。

でも、中身がなくなったことに気づかずに手を突っ込んで探った時に「あれ?もう使えない」となる。

今、目の前に歯磨き粉があります。パッケージに「ご愛用に感謝して15g増量」と書いてあります。「ご愛用に感謝して、15g増量されているんだな」とわかります。正直、持ってみた重さからははっきりとはわかりません。

でも考えてみると、使い切るまでの期間がいつもより長かった。

「何言ってんの?」と思う方もいるかもしれませんが、これは私の考える「日常の中で“実感”を得られる瞬間」、つまり先に述べた「可能性は0ではない」ということです。

気づきの瞬間や予測のできない事態が“実感”を生むカギなのかも……

そもそも「デザインの消費において“実感”を伴わせる」とどうなるのか。

おそらく、ただ使っておしまい、なんとなく見ておしまい、必要な情報を得ておしまい ということがなくなります。

そういった終わり方って、デザインとしては何の不足もない大正解の終わり方だと思います。

ちゃんと問題なく使用できた、最後まで目を通してもらえた、伝えたい情報が伝わったということなので。

でも、「結局はそれだけだな……」とも思います。

それで何も問題ないんですけど、間違ってないんですけど、つまらなくないですか??

ここからは夢物語ですが、

デザインである以上「伝わる」「機能的」は絶対に押さえた上で、“実感”を与えられる何かをプラスできればいいなと思います。

(私にとって身近なのでスイッチの仕事を例に挙げますが、)

例えば印刷物。これの特徴って実際に触ることができる点ではないでしょうか?

自分の手でめくったりひっくりかえしたり時々指を切ってしまったり(!)とかなり“実感”を伴うことのできるものだと思います。

だからこそ、ただ目を通すだけでなくてテクスチャとか仕掛けまで考えられたらいいですよね。

webサイトの場合は実際に触れることはできませんが、仕様によっては音を出せたり動画も流せたりマウスオーバーで変化をつけられたりと印刷物よりできることの幅が広い。

「見やすさ」やレスポンシブ対応を考えた時にどうしてもブレてはいけない軸はありますが、

そこは死守しつつもどうすればもっと「私がこのサイト上を巡っている“実感”」を与えられるのか考えていきたいですね。

五感を通して心に訴えかけられるようなデザインができるようになれたらもう死んでもいいです……(死にませんが……)

最後の方はただの新人の抱負になってしまいました。

アートから直接的にデザインに取り入れられる部分もあるとは思いますが、今回のようにアートを消費した先でたどり着く答えもあるということで……

「アートとデザインは別もの」と思わず、今後も様々な表現に触れていきたいと思います。

考えなくても「伝わってくる」「わかる」を生み出すため、私は考えることやめません!ウオ〜〜!!